第3回

総合グローバル学部 総合グローバル学科 教授 樋渡由美

 

 みなさんは2017年を迎えてどのような目標を設定し、決意を新たにしているのでしょうか?連載最終回では学生たちのことを書いてみようと思います。

 

 といっても、学生はこうあるべきだ、今の学生はこうだ、などと言いたいわけではありません。むしろ、大学生だった頃の自分の経験や反省、学生の3倍くらいの人生を生きて来た今、もし自分が大学生だとしたら、どんなことを考えたいか、どんなことをやりたいかというようなことを書いてみたいと思います。

 

 連載第二回で書いた通り、私は決して出来のよい学生ではありませんでした。大学一年生の時から、政治学に関心を持つようになり、ゼミも政治学を履修しましたが、関心があるからといって、徹底的体系的に書物を読むわけでもなく、ただ授業に出て、試験でAをとって・・・という生活でした。好きな勉強であるはずなのに、なぜ、あのときもっと真剣に、本気で勉強しなかった(できなかった)のでしょうか?

 

 なんとなく関心をもつことと、なにを本当に知りたいのか(疑問点はなにか)との間には天と地の差があります。おそらく当時の私は、政治学の「お勉強」に抽象的な関心をもつだけで、具体的に政治のどのような現象を面白いと感じ、なにがわからないのかがわからなかったのだと思います。では、どのような要因が揃えばもっと本気で勉強に取り組み、もっと知的に充実した大学生活になったのでしょうか。

 

 関心を共有する友人かもしれません。私の周囲の友達は、勉強の上での関心をかならずしも共有しない人達か、勉強会などをやっていて小難しいことばかり議論していて面白くない人たちのどちらかで、私の学問への前向きの取り組み、モチベーションをあげるには全く役にたちませんでした。

 

 では、良い授業がもっとあればよかったのか?今から思うと当時私が受けた授業はそれなりによく組み立てられていて、体系的に何かを学ぶ機会は数多く用意されていたと思います。でもそれらの授業から具体的な問題を引き出して自分の関心を高めることができたかといえば、できませんでした。1970年代の大学で、今はやりのアクティブラーニングが行われていればもっと違った経験ができたのでしょうか?じっくりと物を考える力を発揮すること、深く考えようとする姿勢をもつこと、これがアクティブラーニングだと私は思っているので、形の上での双方向の授業が鍵であるとは思えません。なにが、人間の深い思考力やイマジネーションを触発するのでしょうか?

 

 これに対して、あっと驚くような回答を私が持ち合わせているわけではありません。むしろ答えは陳腐なものです。自分をとりまく世界でなにが生じているかについて常に敏感であること、常に情報を取り入れること。政治に限らず国内、国際のさまざまな情報の摂取、しかもかなり大量の情報を毎日摂取し咀嚼することを通じてはじめてイマジネーションやインスピレーショが生まれるのではないでしょうか。将来自分がなにをしたいか(どう生きたいか)ということすらきちんと考えられなかった学生の頃の私は、自分を取り囲む世界で生じていることにあまりにも鈍感であったように思います。

 

 国内政治や国際政治、そして安全保障についての情報は、世界史を通じてパワーポリティクスを学ぶ以外、高校までの教育の中では触れずにきてしまう分野です。日々生じることがらについて新聞、雑誌、インターネット等から摂取できる情報量は膨大なものです。言うまでもなく、これには英語その他の外国語による情報が含まれます。感覚的にわかった気になることが難しい分野だけに、結局わからないままで終わってしまうということも随分ありました。それを乗り越えるためにも、とてつもなく大容量の情報を摂取して咀嚼することが鍵になります。なにが生じているのか、なぜそのようなことが生じるのか。ニュースを読むことがすなわち学問ではありませんが、その先に学術研究、学術書、学術論文があるのだと思います。

 

 毎朝、ニュースを一通り読み始めると、面白さのあまり、1日が終わってしまいそうな気になることはありませんか?なぜこうなるのか、なぜそうならないのか、知的にわくわくする感覚をもつことが何よりも大切であり、今、私が学生であったら、そのわくわく感を求めて毎日楽しく過ごしているだろうと思います。具体的な数々の事実、それらをまとまりあるものとして把握するための枠組み、その根底にある「なぜ?」という問いかけは、学生時代の私に欠落していたものであり、今の上智生には学ぼうとする素直な態度とともに、かなり備わっている資質であると思います。先日、国際関係研究所で実施したアンケートによると、多くの学生の皆さんが国際政治について知識を得る手段のひとつに講義をあげていました。もしそれが本当なら、講義をする側の人間として、自分自身がわくわくしながら政治を考えることがますます重要だと思いました。