第3回

何度でもくぐれる門

 

総合人間科学部 心理学科 教授 岡田隆

 

 教員をやっていると、受講生との質疑応答が私自身の勉強になることがよくある。記憶の障害をさす用語である「健忘」は講義で何度も使ってきた言葉だが、健忘という言葉の成り立ちを意識したのは2年ほど前、受講生の質問のおかげだった。「健忘とは記憶ができないことなのに、なぜ『すこやか』という漢字が含まれているのか」と聞かれてその場で答えられず、研究室に戻ってから国語辞典を開いたところ、健という漢字には「すこやか」のほかに「非常に」という意味があり(たとえば「健闘」「健筆」「健啖」などはこちらの意味)、程度がはなはだしい物忘れ、が健忘であった。この質問は大学の通常の授業ではなく社会人向けの講座で年輩のかたから受けたもので、その翌週の講義で感謝とともにお答えしたのを覚えている。

 

 大学生は、ほとんどの場合どこか一つの学部学科に属し、ある学問領域を深く修めて大学を卒業する。何を専攻するかを入学前もしくは学部低年次で決めたとき、自身の興味や将来やりたいことなどを考慮して、その時点での最善の選択をしたことと思う。しかし、社会に出て自分の世界が変化し知識も自分の中に蓄積されてくると、以前は気に留めなかった世の中の仕組みや世界の不思議さに気づいて、自分が大学で修めたのとは異なる学問を一から勉強したいと思う時がくるかもしれない。新たな分野に挑戦する際に書籍から入るのも良いが、私は、よく練られた講義であればそれを聴くのが体系的な知識を得るための早道であり、印象にも残りやすいように思う。大事な部分は繰り返し述べられるだろうし、講師の口調の変化で内容のメリハリも伝わってくる。じかに講師に質問することもできる。多くの大学で、生涯教育や再教育といったリカレント教育の場が社会人に対して開かれている。

 

 新たな分野に本格的に挑戦するため学士入学や編入学という形で大学に入り直す人もおり、すばらしい行動力である。一方、社会人としての日常との両立が難しかったり、入試準備にかなりの時間を割かねばならなかったりという点がその障壁となる場合もある。そのようなとき、冒頭で述べたような、大学が開講している社会人対象の講座に参加してみるところから始めるのも一つの良い方法である。平日の仕事帰りに教室に寄ることのできる時間帯に授業が設定されている(上智大学の場合)。社会人講座、コミュニティーカレッジ、エクステンションセンター、といったキーワードでネット検索すれば、さまざまな大学で幅広い分野の社会人向け講座が用意されていることがわかる。また、平日の日中に大学に出向ける人は、通常の大学授業の聴講制度を利用し、科目等履修生や聴講生として現役学生と一緒の授業に参加することも可能だろう。いずれも受講料は必要となるが、専門書を所蔵する大学図書館をはじめ学内施設の一部の利用が許可される場合もあり、そのようなサービスも考慮に入れて大学を選ぶと良いと思う。

 

 大学に足を運ぶのはなかなか難しいという人は、放送大学を利用して、自宅で居ながらにして大学の講義を受けるという方法もある。放送大学は、テレビ放送やラジオ放送を利用した授業を行う正規の大学および大学院であり、学部の場合は入学試験が無い。受講する単位数に応じた授業料を納めることで履修登録が可能であり、放送授業と印刷教材(教科書)の勉強が15回分、そして通信指導課題と単位認定試験を合格することによってその科目の単位が取得できる(登録せずに放送授業を視聴・聴取するだけなら無料)。放送授業の場合は講師と直接対話することはできないけれども、履修登録している科目の担当講師にウェブ経由で質問することができる。1科目でも正式に履修登録していれば、放送大学生用に用意されているウェブサイトでほぼ全てのテレビ講義とラジオ講義がいつでも視聴・聴取できるようになっていて、かなり便利なシステムだと思う。印刷教材も市販されているので、履修登録していない科目も含めて独学が可能である。

 

 大学を卒業して社会に出てしばらくは、新しい環境で自分が一人前になれるかどうか、ということが大きな関心事となって、別の学問を新たに、とはなりにくいかもしれない。しかし、自分が若いときに選んだ専攻とは異なる学問領域の意義に、何かをきっかけにして気づいたら、再び大学に目を向けてみてはどうだろう。すでに一つの学問分野を修めて大学を卒業した人は、学問をするための方法一般を身につけた人でもあるので、新たな分野に挑戦する際にもかつての経験がきっと役に立つと思う。厚みのある社会経験をもとにハッとする質問を講師に投げかける将来の皆さんの姿を想像して待っている。知識をネットでぐぐるだけでなく、何度でも大学の門をくぐってみよう。