第2回

The Door into Debtor

 

法学部 法律学科 准教授 大塚智見

 

 ある日、全く身に覚えのない借金の督促状が届いたら、あなたはどう思うだろう。借用書には自分のサインがある。なんなら、生体認証もクリアしているとしてもよい。確実に自分が結んだ契約なのだ。督促状には次のように書いてある。「これは、30年後のあなたが結んだ契約です。」

 

 タイムトラベルが現実のものになったら、そう夢想したことがあるだろう。しかし、タイムトラベルが実用化され、1つの時間に2人の自分が存在しうることになると、非常に大きな法的問題が立ち現れる。たとえば、机の引き出しに入ったり、DMC-12に乗り込んだり、ドラム式洗濯機で回ったりする場合であり、Dメールを送ったり、冷凍睡眠を行ったりしてもこの問題は生じない。すなわち、「未来の自分の締結した契約に、現在の自分が拘束されるか」という問題である。人は、自ら締結した契約に拘束される。これは、民法の大原則である。契約締結後、やっぱりやめておけばよかったと考えたとしても、勝手に契約をなしにすることはできない。しかし、未来の自分が現在にやってきて結んだ契約に、現在の自分も拘束されるべき、とするのは、現在の自分には納得できるものではない。現在の自分は契約に拘束されない、とするためにどのような法律構成が考えられるだろうか。

 

 第一に、未来の自分と現在の自分は、異なる法人格を持っているとの主張が考えられる。第1回連載でも説明したが、法人格が異なれば、別の権利義務帰属主体となり、未来の自分が負う義務を現在の自分が負うことにはならない。人は日々変わっていく。細胞も更新され物理的に別の物になると同時に、意思・感情・記憶も日々更新されていく。30年後の自分よりも、現在の弟のほうが、現在の自分に似ているかもしれない。それゆえ、未来の自分と現在の自分とは異なる法人格を持っているのだ、と考えることもありうるだろう。しかし、民法はそのように考えない。民法では、現在締結した契約に、(時効により債務が消滅することも多いが)30年後の自分も拘束されうる。つまり、現在の自分と30年後の自分が同一の法人格を有していることが前提となっているのだ。それゆえ、30年後の自分が現在にやってきて契約を結んだ場合であっても、現在の自分は30年後の自分とは別の法人格を有していると主張して債務を免れることはできない。

 

 第二に、未来の自分と現在の自分の責任財産が別であるという主張が考えられる。責任財産とは、債務の引当てとなる財産であり、原則として、すべての財産が責任財産となり、その人の全財産をもって借金を返済しなければならない。しかし、この責任財産が分割される場合が存在する。たとえば、ある人に対して失踪宣告がなされると、その人は死亡したものとみなされる。そうすると、相続が生じ、その人の持つ財産は相続人に引き継がれる。しかし、失踪者が本当は生きており別の場所で生活を続けている場合もある。その場合、現在生活している関係では、死亡しておらず、失踪者は財産を有することとなる。つまり、失踪前の財産と失踪後の財産とが分割され、別々の責任財産として構成されるのである。これを本稿の問題に適用すると、30年後から現在にやってきた自分と現在の自分とは同じ法人格を有しているが、それぞれ別の責任財産を持っていることになる。このように考えれば、未来の自分が負った借金は未来の自分の責任財産からのみ返済すべきことになり、現在の自分の責任財産から返す必要はなくなる。現在の自分と30年後の自分とは異なる責任財産を持っていることから、現在の自分は30年後の自分の借金を返済する必要はないということになる。しかし、それでは1年後の自分の場合はどうか、1時間後の自分の場合はどうか、と考えてみるとなかなか難しい。おそらく、どこかの時点を基準として責任財産を分割するかどうかを決めることになろうが、その基準の根拠を見出し難い。

 

 第三の考え方は、契約が、両当事者が合意をしたことによって拘束力を持つことを重視する。借金をした者は、借金をする契約をした後にのみ借金を返済する義務を負う。すなわち、未来の自分が借金をする契約をした場合、その後の自分は返済の義務を負うが、それ以前の自分は返済の義務を負わないと考えるのである。現在は30年後の自分が借金をする契約を締結した後ではあるが、現在の自分は借金をする契約をいまだしていない。それゆえ、30年後になって、自ら借金をする契約をして初めて返済の義務を負うのであり、それまでは返済の義務を負うことはないということになる。1年後の自分が借りたお金は、1年後以降返済する義務を負い、1時間後の自分が借りたお金は、1時間後以降返済する義務を負う。貸した側からみると、30年後になってはじめて返済の請求をすることができることになる。タイムトラベルができるのであれば、貸した人は、30年後に飛んで請求すればよい。貸した側が、夏への扉を探す責任を負うのである。合意して初めて義務を負うべきと考えるならば、合意した以降の自分のみが返済義務を負うとするこの考え方が支持できるだろう。ただし、30年後の自分が現在の自分の姿とそっくりな姿をしてお金を借り、貸した側がタイムトラベルできないような場合には、そのように悪質な30年後の自分を作り上げることになる現在の自分に責任を負わせるといった考慮も可能だろう。

 

 以上、「未来の自分の締結した契約に、現在の自分が拘束されるか」という問題を形式面、実質面双方から検討してきた。このように、法学は、形式的な妥当性だけでなく、それによって導かれる結論が実質的に妥当かどうかを考える学問である。本稿で論じた考慮もその一例にすぎない。たとえば、30年後に自分がタイムトラベルする世界と30年後の自分がタイムトラベルしてきた世界とを同一の世界として論じてきたが、異なる解釈もあり得るところであり、異なる解釈を採れば、当然、法学的な検討も変わってくる。そのような場合に、形式面、実質面からどのような検討がなされるべきか、本稿を参考にいろいろと考えてみてほしい。