第3回

人形師 

 

法学部 法律学科 准教授 大塚智見

 

 全身サイボーグ化した人間をアンドロイドと間違えて誘拐し、どこかに売り飛ばそうとした場合、そのような契約はどのように評価されるだろうか。もちろん、誘拐や窃盗は違法であり、人身売買や盗品売買は法律上許されていない。しかし、ここではそれらの事情をひとまず脇において、サイボーグ化した人間が売買の目的物になりえるのかという問題を考えてみよう。売買の目的物は法律上の「物」でなければならず、サイボーグ化した人間が「物」であるか否かが問われる。物ではない、人間だ!と感情が訴えてくるかもしれない。しかし、すべて人工のパーツで出来上がったサイボーグが法律上の「物」であるかどうかは、なかなかに難しい。「物」であったものが、人間の一部になることで「物」でなくなるのか、という問題が生じるのである。

 

 反対に、人間であったものが、「物」となるのかという問題も考えられる。人間は、「人」として権利の主体である。しかし、死亡と同時に、「人」ではなくなり、権利の主体たる資格を失う。そうすると、「人」ではない死体は、「物」なのか。「物」として権利の客体となり、売買の目的物になるのか。将来、死体に疑似霊素をインストールすることで多様な場面で用いることができるようになれば、死体の売買などが行われることになるかもしれない。その時に、死体を法律上どのように扱うのか、「物」と考えるのか、あるいはあくまで「物」ではないものとして扱うのかが問われることになろう。

 

 今回のテーマは、「人」と「物」の境界である。前回までと同じく、SFからの導入となったが、実は、これは現代の問題でもある。全身サイボーグ化とまではいかなくとも、義手や義足を使っている人は既に存在するし、人工臓器も多く用いられている。また、死体そのものを使うことはなくとも、臓器移植技術の発達により、人体の一部が医療に用いられている。このように、「人」の一部ではなかった「物」が「人」の一部となり、「人」の一部が「人」ではない「物」になる現象は、何もSFの中だけにとどまらないのである。人体に埋め込まれた人工臓器は売買の対象となるのか、他人の義手を壊すことは傷害罪か器物損害罪か。人体試料は売買の対象となるのか、移植のため取り出された臓器を盗んだ者に窃盗罪は適用されるのか。現在でも多くの難問が待ち受けている。

 

 現在の法学は、「人」と「物」を二分して考える。「人」は「物」ではなく、「物」は「人」ではない。「人」は権利の主体となり客体とならず、「物」は権利の客体であり主体ではない。したがって、「人」あるいはその一部は所有権の対象とならず、それゆえ、売買の対象にはなりえず、また、器物損壊罪の対象ともならない。また、「人」であったものである死体も「物」ではないと考えられている。これに対して、人体から切り離された一部、たとえば髪の毛や血液、臓器や、人体に組み込まれた物、たとえば義手や人工臓器は、それらを「物」として扱うか、あるいは、「物」ではないものと考えるか見解が分かれている。切った後の髪の毛が「物」であることに異論はない。かつらも売買の目的物となると考えなければ、困る人も多くいよう。これに対して、精子や卵子、体外受精された受精卵は、「物」ではないとする見解が多い。生命の源を「物」として扱うことへの抵抗感からであろう。

 

 「人」と「物」につきどのように考えるべきか。ここで一つの提案をしてみよう。われわれ人間は、「人」であり、「物」である、というものである。つまり、人間は、それぞれが「人」として権利の主体たる地位を持ちつつ、その身体は「物」として所有権の対象となる。財団法人と比べてみるとわかりやすい。財団法人は、個々の財産からなる法人であり、財団法人が「人」たる資格を持ちつつも、個々の財産は「物」としての性質を失わない。これと同様に、自然人も、「人」たる資格を持ちつつ、それを構成する身体は「物」としての性質を有すると考えるのである。このような考え方はもちろん、人の尊厳を傷つけるようなものではない。人体がそれ以外の「物」と同価値であると言わんとするわけでもなく、また、人体の売買を促そうというものでもない。むしろ、人体を法律上明確に位置づけることによって、それ以外の「物」との異質性を際立たせ、その何物にも代えられない性質を直視することを可能にするだろう。

 

 人体を「物」と性質づけることでどのような帰結がもたらされるだろうか。第一に、傷害罪と器物損壊罪を連続的にとらえることになる。つまり、人体は「物」であることから、器物損壊罪の対象となりうるが、傷害罪がそれをより厳しく罰しているのだと理解することになる。そうすると、人体の一部が切り離された場合には、その一部には器物損壊罪が適用されることになり、逆に、人体の一部に組み込まれた場合には、それを壊すことは傷害罪となる。第二に、人体の一部も売買の対象となる。もちろん人身売買を許容する趣旨ではなく、人倫にもとるような売買は公序良俗により無効となる。現在のところ、人体の一部の売買が許される場面は少ないが、髪が伸びたら切って売るという契約などは有効と考えていいだろう。将来、技術の発展とともに多様な契約が生み出されるかもしれない。

 

 以上、「人」と「物」の境界について検討してきた。私の提案によれば、法学でいう「人」とは、人体それ自体ではなく、それを操作するシステムだということになる。第1回や第2回でも触れたように、意思を生む構造、いわゆる人格こそ「人」の本体と考えるのである。もちろん、現在のところ人体と人格とは切り離せないものであるが、将来、それらを別個に扱えるようになれば、この考え方もより大きな意味をもつことになろう。これまで、3回の連載を通じて民法における「人」を論じてきた。これらの雑考を、「人とは何か」を考えるきっかけにしてもらえれば幸いである。