第1回

ゆるしと正義

 

神学部 神学科 教授 ホアン・アイダル

 

 今年の10月3日に私たちは悲しくて、理解し難いニュースを読みました。コロンビアの国民は50年以上にわたる、22万人の死者を出した内戦を終えることを目指していた平和合意を2日に行われた国民投票で否決しました。世論調査では賛成派が多数を占める模様で、世界中でたくさんの人々が珍しい平和の勝利を祝う準備をしていましたが、予想外に「反対派」が勝利しました。投票率は40%にも満たなかったのは事実です。反対と賛成派の間の差は1%に登らないのも事実です。しかし、そのような小さな慰めは厳しい現実を変えることはできなかった、これからもコロンビアの国民の苦しみと耐え難い不安は続きます。投票の結果が決まったとき、「反対派」の勝利を祝うために首都ボゴタの広場で人が集まり始めました。そこで、テレビ局の記者が広場にいた反対派の何人かに否決の理由を聞きましたが、少なくとも私が聞いた限り、5人の内の3人は「50年間続いた犯罪を許すわけにはいかない」というような回答でした。

 

 政府が武装ゲリラグループ「FARC(コロンビア革命軍)」と結ぼうとした合意はもちろん、無条件なものではありませんでした。長い内戦で罪を犯した人を裁き、罪人には20年までの懲役を与えるのは合意に定められていた一つの条件でした。しかし、おそらく反対派の人たちにとって、50年間の犯罪と苦しみは20年の懲役では癒されないと思ったのでしょう。

 

 ゆるすことはとても難しい。犯罪者が自分の罪を認めたときでさえ。さらに、犯罪者に20年間の罰が与えられたときでさえ難しい。私たちは皆、完璧、あるいは完璧に近い正義が欲しい。犯罪で負った傷を癒す正義が欲しい。しかし、完璧な正義は存在しません。そして、完璧に近い正義も存在しません。あらゆるレベルの犯罪について考えるとき、まずこの事実を意識する必要があると思います。また、私が思うに、おそらく、犯罪で負った傷を癒す力をも持っているものは飲みにくい薬である「ゆるし」というものだけでしょう。ゆるしは正義を否定しませんが、正義の限界を前提にしています。

 

 ゆるしの意味を正しく理解する必要があります。ゆるすことは「忘れる」ことではありません。人の苦しみを忘れる人は、頭または心に問題があると言うしかない。ゆるすことは元気な人間にしかできないことです。また、ゆるすことは、犯罪を軽く見ることではありません。ゆるすことはむしろ「信じる」ことです。絶対的に悪く、変わることはありえない人はいないということを信じることです。あらゆる人の心の中に善が存在し、しかも善が悪より力があるという信じがたいことを信じることです。だから、ゆるすことは、犯罪を忘れずに、そして犯罪の重さを意識しながら、罪を犯した人に新しいチャンスを与えることです。変わるチャンス。前より良い人になるチャンス。同時に、ゆるしは被害者にもチャンスを与えます。存在しない完璧な正義を待ち続けながら、無益な恨みの中に閉じ込められる、この恐ろしい可能性を免れるチャンスを与えます。コロンビアの和平合意反対派の勝利のニュースをテレビで見ながら、いくら難しいものであったとしても、ゆるしは人間的な世界への唯一の道だと感じました。

 

 コロンビアの問題は日本の社会について考えるきっかけでもあります。10月7日に日本弁護士連合会は人権擁護大会を開き、「2020年までに死刑制度の廃止を目指す」という宣言を採択しました。もうすでにこのことについて反対の声が聞こえています。被害者が受けた傷を癒す正義を求める声です。世論調査によると80.3%の人は死刑賛成と言われています。日本社会のため、今回もこの世論調査と逆の予想外の結果になったらいいなと思います。